COMPANY PROFILE会社情報

創業者 新田長次郎

新田長次郎

新田 長次郎

1857(安政4)年5月~1936(昭和11)年7月

幕末から明治へと移り行く激動の時代、「工業の発展こそ日本の生命線」と考えた創業者新田長次郎は、大阪で工業用ベルト事業を開始しました。「日本にないものをわが手で」、「技術の改善進歩は無限」、「全員による数限りなく考えられる改善こそが大切」と、「発明」と「改良」を生涯探求し続け、また、伸びやかな意見交換を育む「円満」な社風を望みました。この「発明・改良・円満」の精神は今もニッタグループに脈々と受け継がれています。

革ベルト

革ベルト

長次郎が初めて作った動力伝動用革ベルトの再現モデル。
当時、接着剤を用いた接合技術が日本では発展していなかったため、革で糸を作って接合部分を縫い合わせた。

金色地球印革ベルト看板

金色地球印革ベルト看板

日本初の動力伝動用革ベルト「金色地球印革ベルト」の看板。
ベルトで地球を回すロゴデザインが特徴。長次郎の、日本の産業を世界レベルへ発展させたいという強い意志が感じられる。

新田長次郎の革製鞄

新田長次郎の革製鞄

新田長次郎愛用の革製鞄。
明治の時代に2回自費での洋行を行っている長次郎の探求心が詰まっている。

新田長次郎の書道作品

新田長次郎の書道作品

「緊立其志」は、江戸時代の儒学者佐藤一斎(1772~1859)の「言志四録」にある「緊立此志」からアレンジしたもの。事を行うにあたって、そこから何かを学ぼうという目的意識を持って取り組むことの重要性を説いている。

長次郎年譜 発展の足跡

  • 和暦
  • 西暦
  • 年齢
  • 足跡
  • 1857年(安政4年) 0歳
    安政4 1857 0
    愛媛県温泉郡味生村山西に、父喜惣治、母ウタの二男として誕生。
  • 1862年(文久2年) 5歳
    文久2 1862 5
    父喜惣治死去。
  • 1873年(明治6年) 16歳
    明治6 1873 16
    福沢諭吉著「学問のすすめ」に、大いに啓発される。
  • 1877年(明治10年) 20歳
    明治10 1877 20
    大志を懐き、大阪へ出立。
  • 1877年(明治10年) 20歳
    明治10 1877 20
    独人ハイド・ケンぺルの講話を聞く。製革業が将来有望なるを知り、洋式製革術を習得することを決心。藤田組製革所に入所する。
  • 1883年(明治16年) 26歳
    明治16 1883 26
    井上ツル女と結婚する。
  • 1885年(明治18年) 28歳
    明治18 1885 28
    大阪府西成郡難波村字久保吉に、独力で製革業を創業する。
  • 1888年(明治21年) 31歳
    明治21 1888 31
    わが国で初めて、伝動用革ベルトの製造に成功する。
  • 1893年(明治26年) 36歳
    明治26 1893 36
    第1回海外視察に、米欧に出張する。
  • 1900年(明治33年) 43歳
    明治33 1900 43
    第2回海外視察に、欧米に出張する。
  • 1902年(明治35年) 45歳
    明治35 1902 45
    緑綬褒賞を受ける。
  • 1903年(明治36年) 46歳
    明治36 1903 46
    国学院大学財務顧問を委嘱される。
  • 1907年(明治40年) 50歳
    明治40 1907 50
    渋原料の槲の樹皮を集荷のため、芽室に出張所を開く。
  • 1909年(明治42年) 52歳
    明治42 1909 52
    金比羅山、モハチャなどの官有林の払下げを受け、止若に製渋工場を建設する。
  • 1909年(明治42年) 52歳
    明治42 1909 52
    個人企業を、合資会社新田帯革製造所に改組する。
  • 1911年(明治44年) 54歳
    明治44 1911 54
    社内報「星の光」発刊。
  • 1911年(明治44年) 54歳
    明治44 1911 54
    低所得層の子弟のために、学費、衣料、文房具費等を全額負担の有隣尋常小学校を開校する。
  • 1911年(明治44年) 54歳
    明治44 1911 54
    十勝製渋工場に、米田侍従御差道の栄に洛す。
  • 1911年(明治44年) 54歳
    明治44 1911 54
    十勝製渋工場にて、日本初の固形タンニンの製造を開始。
  • 1912年(大正元年) 55歳
    大正元年 1912 55
    和歌山琴ノ浦に別荘地購入、造園に着手(温山荘園)
  • 1914年(大正3年) 57歳
    大正3 1914 57
    木綿調帯の製造を開始する。
  • 1914年(大正3年) 57歳
    大正3 1914 57
    大阪工業会設立発起人に推挙される。
  • 1916年(大正5年) 59歳
    大正5 1916 59
    理化学研究所設立発起人となる。
  • 1918年(大正7年) 61歳
    大正7 1918 61
    洋膠、ゼラチンの製造を始める。
  • 1918年(大正7年) 61歳
    大正7 1918 61
    馬牧場を十弗に、牛牧場を糖内に設ける。
  • 1919年(大正8年) 62歳
    大正8 1919 62
    合資会社新田べニヤ製造所を設立する。
  • 1920年(大正9年) 63歳
    大正9 1920 63
    原内閣の臨時産業調査会委員に任命される。
  • 1923年(大正12年) 66歳
    大正12 1923 66
    私立松山高等商業学校(現 松山大学)を設立する。
  • 1925年(大正14年) 68歳
    大正14 1925 68
    新宿御苑観桜会に招待される。
  • 1927年(昭和2年) 70歳
    昭和2 1927 70
    紺綬褒章飾版を授与される。
  • 1927年(昭和2年) 70歳
    昭和2 1927 70
    昭和天皇より賜饌のお召しを受ける。
  • 1929年(昭和4年) 72歳
    昭和4 1929 72
    練乳工場を新設し、練乳の販売を開始する。
  • 1935年(昭和10年) 78歳
    昭和10 1935 78
    「回顧七十有七年」を出版する。
  • 1935年(昭和10年) 78歳
    昭和10 1935 78
    大阪市より発明功績者として表彰を受ける。
  • 1936年(昭和11年) 79歳
    昭和11 1936 79
    脳溢血にて没す。(享年80歳)
  • 1936年(昭和11年) 79歳
    昭和11 1936 79
    従五位に追陞される。